「藤原鎌足公のお命日」大織冠神社に参拝

 当寺の創建者、藤原鎌足公のお命日(10月16日)に、地元の霊廟(大織冠神社:茨木市西安威将軍山)での祭礼に参拝、随喜させていただきました。毎年、阿爲神社さまと安威の人々によって廟前に祭壇を組んで祭礼が行われています。

茨木市大織冠神社祭礼
阿爲神社宮司さまによる祝詞の奏上
茨木市大織冠神社祭礼
お祓い、玉串奉奠

 当山の縁起や諸伝によると、鎌足公は天智天皇八年(西暦669年)にお亡くなりになられ、初めは当安威に葬られましたが、唐より帰国した大念寺の開山上人「定慧上人」が夢告によって遺骸を掘り起し、奈良の多武峰妙楽寺(現:談山神社)に改葬したといわれ、代わりに神霊代を納めたといわれています。そして、いつの時代にか後にこの石窟(古墳)を鎌足公の元の墓(古廟)に比定し、霊廟として整備されました。

 そして、昭和初期には近隣の阿武山から新たに鎌足公である可能性の高い墳墓が発見され、改めて安威と鎌足公の深い繋がりが議論されています。

  この霊廟にまつわる伝説や言い伝えは様々あり、実際の考古学見解では色々な意見がありますが、昔から現在も鎌足公の「参り墓」として大切にされていることが何よりの地元の誇りであります。

 廟前の石標(写真右)は、明治時代の最後の藤氏長者(藤原家直系)である九条道孝公(くじょうみちたか:従一位大勲位公爵)によって建てられたもので、当時は実際に安威の庄屋家を宿として当地にお参りに来られていました。