近年の発見


これまで

茨木 大念寺

 ここ大念寺は古くから「鎌足ゆかりの寺」として伝承され、創建は資料によれば斉明天皇2年(西暦656年)であり、以来1300年以上の歴史をもっています。

かつては多くの末寺をかかえ、勅書綸旨なども有した大規模な寺院であったともいわれています。しかしながら往古をしのぶ遺物などは多く残っておりませんでした。当寺の縁起にもあるように、創建以来に火災等による荒廃や数度の境内の移転を重ねた為であるとも考えられます。

伝承によれば、現在の場所に大念寺としてお堂を構えたのは享保6年の時であって、それ以前は現在より南側にありました。一帯は「安威寺跡(あいでらあと)」と便宜的に名付けられ周知されておりましたが、当寺の南側は現在は安威の集落として住宅・田んぼが広がってます。そのため、今まで本格的な発掘調査などによって伝承の旧境内の遺構の発見はあまりされていませんでした。


近年の発見

安威の寺院跡とみられる遺跡
安威の寺院跡とみられる遺跡

 しかし近年、安威を横断する道路「茨木山麓線」の開発が計画され、その道路に係る部分の埋蔵文化財発掘調査が茨木市教育委員会によって行われました。まず、平成2021年にかけて大念寺から真下の南の一帯を調査したところ、室町時代の建物の基礎とみられる石敷の遺構が発見され、それに向かう門の柱とみられる石柱2本が立ったまま見つかりました。そのほか横穴石室古墳や井戸跡も確認されました。ここで注目されたのは、室町時代のものとみられる瓦と塼(せん)が大量に出土したのです。当時、瓦を使った建物というは寺院以外考えにくく、塼(せん)とは仏堂などの基壇を飾る瓦質の板です。コンテナいっぱいの大量の瓦や門の跡が見つかったことから、室町時代の寺院跡ではないかと推測されました。


創建当時の大念寺の遺跡か?

安威寺跡
安威寺跡

 その後、平成22年には寺の南西部・阿為神社の南側の道路開発に係る一帯を調査されました。

はじめは古墳時代後期の横穴式石室古墳や奈良時代・平安時代後期の竪穴住居を各一基、室町時代の建物基礎と思われる石敷道構・井戸跡などの遺構がみつかりました。平安時代後期の堅穴住居内からは、古代寺院に関係すると思われる凝灰岩製の地覆石(建物の基礎部分に使う石)が出土しました。さらに、飛鳥時代後期の寺院規模の建物跡やそれに伴う池らしき遺構も発見されました。この調査は、あくまでも道路開発の部分しか発掘されておらず、遺跡の一部分のみしか発見することができませんでしたが、今から約1300年前の飛鳥時代に大規模な建造物が存在していたことは明らかなものとなり、また時代の違った寺院とみられる建物跡がそれぞれ違った場所で確認されたことは、大念寺が現在の場所に落ち着くまでの経過がうかがえるきっかけとなる大発見となりました。