慧隠法師(恵隠) 

『無量寿経』を持ち帰った、

日本浄土教の先駆け的存在

 

慧隠(えおん)法師は近江国滋賀郡(滋賀県)の漢人(渡来系)の僧侶であり、近江国(滋賀県)滋賀郡の漢人。『日本書紀』によれば、推古天皇16年(西暦608年)9月に小野妹子に従って僧旻、南淵請安らと共に遣隋使として中国の隋へ渡り、31年間にわたり留学しました。舒明天皇11年(西暦639年)9月、新羅送使に従って恵雲と共に帰国し、翌年五月の宮中の設斎(朝廷の仏教行事)にて『無量寿経(むりょうじゅきょう)』を講説(講義)し、白雉3年(西暦653年)4月にも同じく恵資を論議者、僧侶1000人を聴衆として宮中で同経を講説されました。

 当山の『大織冠縁起』によれば、藤原鎌足はこの慧隠法師に深く帰依し、師のために仏堂を建立したのが当寺のはじまりです。

 また上記に述べた通り、慧隠法師は阿弥陀如来を説くお経『無量寿経』(のちの平安時代に浄土宗の法然上人によってお念仏の教えの要となるお経)を中国から日本に初めて持ち帰ってこられた僧侶としても有名であります。