福井地区の旧末寺


専念寺(せんねんじ)

字向山の南麓にあり。今畑地となる。

専念寺墓:同寺の旧地跡にあり。檀徒(檀家)の墓碑を存す。

(明治44年福井村沿革誌より)

 現在の茨木市東福井の山沿いにありました。江戸時代元禄期の浄土宗の公式書物『蓮門精舎旧詞(れんもんしょうじゃきゅうし)』の諸国寺院一覧にも記載されているお寺です。

 それによれば、寛永5年に法誉栄傳道心者(ほうよえいでんどうしんしゃ)という僧侶が在来の仏堂を復興創建しました。その後、寛永16725日に行年68歳にて亡くなられ、以降も歴代住職が住持していました。創建当初から本寺の大念寺とは綿密な関係をもっており、福井地区の浄土宗のお檀家さんに対する出先機関として機能していたものと考えられます。 関連する資料も当寺に現存しています。

 しかし、言い伝えによれば江戸時代末~明治の頃に山崩れ又は火災によって倒壊し、その後再建されずに大念寺に合併し廃寺になりました。その時に下の佐保川に石仏、石塔などが流れ落ちたため、後の護岸工事の際には掘り出されたようです。流れ出たもの(石仏(阿弥陀如来坐像)や石塔(五輪塔の部品))は現在は地元の人々によってを集めておまつりされています。

 

 また、専念寺のあった場所の山には現在も、墓石が50基ほど半分埋まった状態で残っており、お参りする人も無く荒廃しています。その周辺には寺院跡をうかがわせる石垣や井戸らしき跡も残っています。

 また、大念寺が所蔵する福井村専念寺と書かれた伏鉦が唯一のこる仏具です。 (下部参照)

 明治時代の地域資料「福井村村誌」の現存する寺院一覧には記載されていないことから明治以前に廃寺したと思われますが、現存する墓石を調査すると明治に亡くなった人のお墓があったため、これからも調査が必要です。

 

唯一現存する専念寺の仏具

茨木福井 専念寺
現在も使っています

 これは大念寺所蔵の伏鉦(ふせがね)というお念仏をとなえるための仏具です。裏に専念寺の名が彫られていて、かつて専念寺で使われていたものです。

茨木福井 専念寺1

裏返すと「摂州島下郡福井村」とお寺のあった地名が書かれています。

茨木福井 専念寺2

「専念寺常什物」とは、専念寺で常時使用する什器であることを示します。

茨木福井 専念寺3

鉦の作者は「京大佛住 西村左近宗春作」と書いてあり、京都の大仏殿(今の東山七条)あたりに住んでいた鋳物師です。西村左近宗春は江戸中期から後期にかけて活躍した名匠だそうです。